Vol.12_「でゅわでゅわ人生」

中学生の頃、深夜ラジオばっかり聞いていて、「授業中はほぼ寝ている」という時期がありました。

自慢じゃないですけど、授業またぎで寝ていて、次の授業が始まっても気が付かないなんてこともありましたね。

「いつもは寝ている沢田くん」と、まるでいろはガルタみたいなことを言われて、先生からは放置されてました。

その当時ハマっていたのは夜中(早朝?)3時から始まるニッポン放送「オールナイトニッポン第2部」

特に毎回聞いていたのは「山下達郎のオールナイトニッポン水曜第2部」

ソロデビュー前の山下さんが、趣味のマイナー洋盤レコードのコレクションから色々かけるという、ホントにヘンな番組で1年と持たずに終わったような記憶があります。

確か、逆回しにした音源を普通にレコードにした曲とか、声がでかすぎて「マイクが壊れるから離れて歌え!」とディレクターに怒られ、歌手がどんどんマイクから離れていって、どんどん声が小さくなる「バナナボート(でーおっ、ていうやつです)」とか、そんなのばっかでした。

そりゃまあ当然終わりますよね(笑)。

わりとまともな回ではドゥーワップ(今で言うシャネルズやゴスペラーズの本家みたいな曲)特集を聞いたりして、バンドのバックコーラスにばくぜんと憧れていた時期がありました

バックコーラスというのはクールファイブとか東京ロマンチカとかでメインボーカルの後ろで歌っている人たちです。

なんかお気楽でとっても楽しそうに感じられたんです。

生徒会にはいたもののスポーツもやらず、科学部と放送委員会に在籍し、だらだらとモラトリアムな生活を送っていた私には

「でゅわ〜」 とか 「しゅびどぅんどぅん」無責任に歌っているだけの仕事がとても良いものに見えたんです。

できたら録音のときだけスタジオに呼んでもらって、「1でゅわ@千円」くらいもらって帰ればもう最高だな、なんてことを夢想していました。

今になってみればマジメにやっているバックコーラスの方々に全力で謝りたいですけどね。

その後一応受験勉強らしきことをして大学に入り、わりとガッツリしたテニスサークルで一応主将にはなりましたが、ケガで選手生命を立たれ、、というのはウソで・・・

実際には主将になった段階で同学年どころか後輩にも抜かれ、さらに不注意から交通事故で骨折して、最後の一年はほぼマネージャー状態、たぶん歴代で一番責任を果たさなかった主将だったのではないかというグズグズぶり。

しかも学生時代は「会社というのは10時から始まる」と思っていた私なのでした。

ところが実際に社会に出ると何を思ったか馬車馬のように働きだし、父の会社に戻ってもずーとフルスロットル

きっと「社長の息子」「次の社長」として常にトッププレーヤーでなければならない、と思いつめていたのでしょう。

結局それがたたったのか40歳あたりでうつ病を発症し、もとに戻るまでに6年を要する羽目になってしまいました。

30代から先代の父に会社を任せられていたので、ずーっと理想のリーダー像に自分を近づけるように努力をしすぎていたんだと思います。

理想のリーダーはその時で変わりますが、足利尊氏、織田信長、ローマの初代皇帝アウグスティヌス、聖徳太子、あるいは中小企業だからということで蜂須賀小六(!)

本を読んだりしてみてはみましたが、どれもあまりにも立派なリーダーすぎて実際の自分とは程遠い(あたりまえか)。

仮に自分の身の丈までスケールを小さくしてみても、「やっぱ なんかちがうんだよな〜」と自分の中でずーっと違和感を感じ続けてきました。

・・・で結局最近わかったことは私は確かに「リーダー」ではあるが「エース」ではない

バックコーラスの話にここで戻りますが

「長崎は今日も雨だった」の「内山田洋とクールファイブ」の「エース」は内山田洋さんではなく前川清さんだってこと。

内山田洋さん、実際のところは結構おっかないボスだったそうですが、テレビなどでは前面に出ることは殆どありませんでした。

そう考えてみるとウチは「沢田元一郎とエースユナイテッド」

前川清さんみたいなエース経営者やエース企業を何社も作れたら・・・

彼らを厳しく見守りながらその後ろで「でゅわわわ〜」ってやってられたら最高に楽しいですね。