「弱くても勝てる経営」競合に負けない兵法入門4

〜最終回 弱者が陥る兵法のわな 勢いのない策は破れる

さて今回は、「弱くても勝てる経営〜競合に負けない兵法入門」の最終回として、中小企業(弱者)が兵法を学んだあと陥りやすいワナについて書かせていただきたいと思います。

ここまで3回にわたり書いてきた「弱くても勝てます」というこれまでのお話を要約すると、

・私が思う弱者の3条件「小規模」「低効率」「低自信」のうち、主に「低効率」を兵法で解消しましょう。

・なぜなら軍事は究極のトレード、つまり命のやり取りをしますので、兵法は究極の商法に繋がります。

ということになろうかと思います。

兵法を知れば、より少ない経営資源(ヒト・モノ・カネ)で劇的に効率を上げることができます。

しかし、残りの2条件を解消しないと弱者からの脱却は難しいですね。

ちなみに「小規模」は条件と書きましたが、実際には「結果」・「現象」の要素が強く、短期間に解消するのは容易ではありません。

しかし、「低効率」と同時に「低自信」もあわせて解決できれば、「高効率」「高自信」となり、規模もいずれ大きくなっていき、弱者から強者になることができます。

実際、世の強者は最初っから強者であったのではなく、弱者の立場から「低効率」と「低自信」という双子の課題を解消することで「小規模」をも克服し強者になっていっているのです。

では私たち弱者(中小企業)が「低自信」を解消するのに必要な具体的な対策とはなにか?

私はずばり「勢いのある策」と申し上げます。

元祖兵法書の『孫子』に「正正の旗を邀(むかう)る勿なかれ、堂堂の陣を撃(う)つ勿れ」(旗印を立てよく整った軍隊を迎え撃ってはいけない。意気盛んな軍隊に攻撃をしかけてはいけない)とあります。

第二回「各個撃破」にも書きましたとおり、「勝利は大兵にあり」が兵法の基本。

しかし相手より兵力で劣っていても「正正の旗」「堂堂の陣」、つまり勢いで勝利したケースは歴史上少なくありません。

窮鼠猫を噛む(きゅうそねこをかむ)なんてことも言いますね。

追い詰められたネズミが正面から猫の鼻っ柱に噛み付けばどうなるか?

ここで歴史上の小兵(弱者)が勝利した「勢いのある策」の例を3つご紹介しましょう。

1.ネルソンタッチ「トラファルガーの海戦」

ヨーロッパ大陸を制覇したフランス皇帝ナポレオンが次の獲物に狙ったのはイギリス。

しかしイギリス海軍のネルソン提督は自らが「ネルソンタッチ」と名付けた「勢いのある」作戦を持っていました。

1805年トラファルガーの戦いでネルソン率いる27隻のイギリス艦隊は、当時日の出の勢いのナポレオン配下の数で勝るフランス・スペイン連合艦隊33隻とトラファルガー沖で会戦。

イギリス艦隊は敵艦隊の間延びした横っ腹に縦2列で突っ込み、相手艦隊を分断した上で包囲殲滅し、ナポレオンのイギリス本土上陸の夢を叩き潰しました。

イギリス艦隊の死者 449、戦傷 1,214に対し、フランス・スペイン連合艦隊は死者 4,480、戦傷 2,250、捕虜 7,000、大破・拿捕 22隻のパーフェクトゲーム(イギリス艦の損害は0)。

実はフランス・スペイン連合艦隊はネルソンの戦術を知っていて、対策を練っていたのです。

しかし、ネルソンが送った「英国は各員がその義務を尽くすことを期待する」という有名な信号旗に士気上がり、勢いのあるイギリス艦隊の縦列突撃に腰砕けとなって敗れたのでした。

ネルソンは隻眼・片足に勲章を付けた目立つ格好で甲板を威風堂々と歩いていたため、この戦いの最中敵の狙撃兵に撃たれ、勝利の報を聞きながら亡くなったそうです。

彼は「神に感謝する。私は義務を果たした」と言い残して息を引き取ったそうです。

「事実は小説より奇なり」まるでドラマみたいですね。

2,「桶狭間の戦い」での織田信長の先駆け

1560年5月12日、駿河の太守今川義元は2万5千の大軍を率いて尾張に侵入。

跡目争いでようやく尾張を手にした織田信長の命運は風前の灯と思われました。

弱者の信長は1560年6月12日明け方の午前4時頃、居城の清洲城より突然小姓衆5騎のみを連れ先駆けし、8時頃熱田神宮に到着。

その後、慌てて後を追った軍勢を集結させて熱田神宮に戦勝祈願を行います。

最終的に後を追った信長の軍勢は3000に膨れ上がり、2万5千の今川勢のうち5000が守る正面を突破、今川義元を打ち取り今川軍を敗走させました。

その後の信長は二度と桶狭間のような冒険的な戦いをせず、配下の武将たちに銭で雇った大兵で編成した方面軍を与え、数で圧倒する「強者の戦略」を取って天下を取りました。

そんな強者信長が近習のみの小兵で本能寺に宿泊中、秀吉の中国攻めを応援すべく大軍を預けた明智光秀に、(弱兵として)討たれてしまうのは、なんとも皮肉なことです。

3,関ヶ原の戦いでの島津義弘の生還

1600年9月13日の明け方に始まった関ヶ原の戦いは、お昼ごろには大勢が決し、総崩れになった西軍のなかで薩摩の島津義弘軍は勝ち誇る東軍がうようよいる真っ只中に300人の軍勢で取り残されてしまいます。

まんまるになって守る義弘たち、しかし勢いの落ちた残党とみなした東軍の諸将は舌なめずりをして包囲を狭めます。

その時、なんと義弘は取り囲む軍勢で一番強いと思われる徳川家康の本陣に向かって突進!

すわ!と身構える家康軍。

あわや衝突と思われたその寸前、義弘の隊列は右にさっとそれ、伊勢街道を南に脱出し、鹿児島に向かって一目散。

生きて薩摩に戻ったのは300人のうちわずか80数名とかなりの損耗を出したものの、その敵中突破は「島津の退き口」と敵味方を問わず称賛され、義弘自身も「鬼島津」と呼ばれます。

西軍であった島津家の存続のために奔走したのは、東軍総大将家康配下として「島津の退き口」の追撃戦に参加し、重症を負った井伊直政だと伝えられています。

後々に薩長土(他は長州・土佐)として、薩摩藩が徳川家の江戸幕府を倒した一大勢力であったのは、不思議な因縁ですね。

では兵法(戦略・戦術)はあっても上の例のように勢いを持たないとどうなるか・・・

「平和を愛し争いを好まぬ」といえば聞こえが良いですが、「怠惰で変化を恐れる」中小企業がうっかり陥ってしまいそうなワナ、一見楽そうな「中立」「防御」「戦わずして勝つ」、の3つの戦法について、一つ一つ検証していきたいと思います。

1、中立

もしあなたが一国の元首だったとして、ただ「戦うのが嫌だから中立」ではあなたを挟むA国、B国の両方から削られてしまいます。

永世中立国のスイスは重武装中立・国民皆兵を国是としていますし、専守防衛をうたう我が国日本も、世界第9位の軍事予算を持ち、いざというときの自衛隊の戦闘能力は世界でも指折りと言われています。

つまり中立というのは非常にコストがかかります。

たとえばお客様の二大ニーズ「品質」と「価格」を同時に実現しようとすればどうなるでしょう。

これは私にも経験がありますが、売上を増やしたくて、お客さまから求められるまま価格を下げて仕事を請け負い、品質は落とすわけにはいかずもとのまま。

あたりまえですが一時当社は利益はマイナス、か良くてもトントンの会社になってしまいました。

数年の辛い体験で、高品質を選ぶのか、低価格を選ぶのか、どちらを選ぶのかまず旗幟鮮明(きしょくせんめい)にする必要があることをまなんだ私は、その後高品質路線にかじを切り活路を開きました。

また何もしない、または必要でもないことに労力や大金をつぎ込んでいては中立は守れません。

試験の前になると急に部屋の掃除どころか模様替えがしたくなる、なんて経験ありませんか?

最近、売れ残ったフランスパンを加工したラスクを贈答用として全国区に育て上げた会社が倒産しました。

この会社の成功を目の当たりにした競合が「ラスクは美味しいビジネス」と気づいて次々と新製品を発売

しかしその会社は商品も売り方も変えなかったばかりか、ラスクと関連性の薄い観光施設などに大金をつぎ込み倒産。

創業者の方は「成功体験から抜け出せなかった」と反省の弁を述べておられましたが後の祭り。

「選択と集中」という言葉もある通り、ビジネスに中立はないのではと思いますよ。

最近の政府関係者がよく使う「あらゆる可能性を排除しない」という定型句は、ただ「中立の位置にいて手をこまねいて様子を見ます」というふうに聞こえてなりません。

2、防御

こちらも、平和的なイメージですし「守成」なんて言葉もあって人格者の中小企業経営者が好みそうな戦法です。

しかし防御は相手が攻めてきそうなところに手当が必要なため、遊兵(ムダな兵力)を生ずるものです。

地点を自由に選べるため遊兵が生じない攻撃側とは対照的ですね。

歴史上でも、太平洋戦争後半の日本は勝ち取った南方の島々にもれなく守備隊を配置しました。

対するアメリカ軍は無用な損害を避けるために、艦隊基地や航空基地を作るために必要な島のみを落としていく飛び石作戦(アイランド・ホッピング)を選択。

その結果、飛び石となった島では激戦となり、双方多くの犠牲を出しますが、飛ばされた島々の守備隊は遊兵化、戦闘らしい戦闘が全くなくなってしまいます。

やがて日本が飛び石作戦で制海・制空権を失い、補給船が来なくなると、過酷な戦闘から逃れたように見えた彼らを恐ろしい飢餓が襲います。

日本陸海軍の軍人軍属486,600人の犠牲者のうち65%が餓死・病死者と言われる一因はここにあるのです。

小さな会社が突如「総合〇〇企業」を目指し、漫然とラインナップを広げるとどうなるか、この歴史を知っていたら、だいたい想像は付きますよね?

小さいくせにやたらメニューの札がいっぱいある定食屋あるでしょ?

一見繁盛感があるがロスが多く儲からないような気がするのは私だけでしょうか?

ちなみに吉野家は多店舗展開を始めた1968年から2003年までは牛丼のみの単品販売でした。

彼らは、競合店がメニューの多様化で追撃を始めると、それに合わせたメニューのみを開発するという「機動的防御」に徹してしのぎます。

そして2014年、満を持して競合の強みであるはずの「ワンオペ」を逆手に取った、手数のかかる「牛すき鍋」メニューで反撃。

対抗上、ワンオペには負担の大きすぎる「牛すき鍋」を提供せざるを得なくなった競合は大量のバイト離反者を出して一時苦境に陥りました。

3、戦わずして勝つ

こちらも変化を恐れる自称「平和主義者」に結構人気のある考え方ですね。

とはいっても「戦わずして勝つ」は、戦わないでじっとしてたら、相手が勝手にコケてくれる、というお話ではないことくらい小学生でもわかります。

「戦わずして勝つ」事例としては1590年小田原城の北条氏を大群で180日ゆるゆると囲んで落城させた豊臣秀吉の事例が好例でしょう。

その戦いの中で彼は一兵も送らず、奥州(東北)に君臨していた伊達政宗を投降(参陣)させてしまっています。

パフォーマンス好きの政宗は、死装束で投降し遅参を許されますが、結局前年にやっとの思いで獲得した会津を没収されてしまいます。

1994年、オリジン東秀は神奈川県川崎市に総菜と弁当の併売店「オリジン弁当」を開店。

以来、国内に18,000店舗といわれるセブンイレブンの近くにあえて立地。

当時は日持ちのする濃い味で勝負していたセブンイレブンから、ユーザーの健康を第一に考えた取組みで健康志向のお弁当として、顧客を奪う作戦に出ます。

(立地調査費用を払えないオリジンの弱者の戦略としての側面もありました)

セブンはオリジンに宣戦布告をすることもなく、自らの弁当を、保存料・合成着色料無添加に変更(最低限の食品添加物は使っているそうですが)、じわじわオリジンの攻勢を削ぎます。

けっきょくオリジンは最終的に全国に勢力を及ぼすことはできず、関東関西の10都府県の展開のみと逼塞します。

つまり「戦わずして勝つ」はそもそも、秀吉やセブンのように強くないと使えない兵法なんです。

とうてい弱者のとるべき兵法ではありませんよね。

 

このように兵法を知ったところで「弱者が身を切ることなく、らくらく勝てる兵法」というのは残念ながらありません。

ここまでお付き合いいいただいた皆様には、弱者が「弱くても勝てる」ためには

1,弱い方にきっちりとした策があり

2,その策に勢いがあること

が条件になることがおわかりいただけたと思います。

だからこそ、これをお読みの中小企業経営者の皆様にはしっかりとした策を持ち、勢いを持ってほしい。

見かけは細くても、正確に甲冑を貫く矢のように

見かけは静かでも、来るものすべてをはね返す回転するコマのように

慎重に攻め・大胆に守って欲しいなあ、と思うのです(おまえもな)。

ちょっと話は変わりますが、私は今後誰がなんと言おうと、日本の中小企業の淘汰は進むと考えています。

なんせ日本の中小企業(=弱者)はもともと多すぎるんです。

その理由はいずれ回を改め書きたいと思っていますが、

日本が敗戦のがれきの中から立ち上がり、奇跡の復興を遂げた過程で国内の中小企業は増殖し、復興を遂げてその役目を終えてからも、制度上の理由から増え続けた(最近のITなどのスタートアップは少し様相が違うと思いますが)

「コメ問題と根っこは一緒のような気がします」とだけ今回は申しておきましょう。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

「沢田とは別の意見がある」「もう少し議論を深めたい」かたはご遠慮無く連絡くださいね。