「弱くても勝てる」経営2 「強いのに弱い?日本」の歴史に学ぶなぜいつもいいところまで行って負けてしまうのか?

いまから4、5年くらい前からでしょうか、

「第二の敗戦」という言葉を皮切りに「〇〇敗戦」というワードをちらほら見かけるようになりました。

いわく「家電敗戦」「半導体敗戦」「デジタル敗戦」「ケータイ敗戦」「漁業敗戦」

この例にならえば、バブル崩壊も「金融敗戦」と呼べるでしょうね。

これらのいわゆる日本の「〇〇敗戦」には、大きな特徴があります。

Panasonic、SHARP、TOSHIBAなどなど世界に冠たる日本の高級・高性能家電メーカーは、中国や韓国の安価でほどよい性能の家電品によって新興国市場から駆逐され

世界で50%以上のシェアを誇った半導体も、いまや10%前後をウロウロ

ジャパンアズNO.1とおだて上げられ、三菱地所がロックフェラーセンターの大家さんとなり、「日系銀行がカリフォルニア州の資産の4分の1を買い占めた」とまでいわれた時代も今は昔・・・

そうなんです、日本の「〇〇敗戦」っていうのは、ワンサイドゲームで蹂躙された、というケースがほとんど無く、「最初は優勢だったのに逆転負け」というパターンの繰り返しなんです。

本家本元の太平洋戦争における敗戦もそうです。

開戦当初は各戦線で破竹の勢い、真珠湾攻撃に始まり、マレー半島、香港からイギリス軍を、フィリピンからマッカーサー率いるアメリカ軍も追い出し、赤っ恥のマッカーサーに「I shall return」と言わせ、「やると負け」の当時のアメリカ軍内ではSNAF(いつもどおり全てダメ)というスラングが流行ったといいます。

しかし、ミッドウェー作戦の失敗がケチのつき始め、そこから坂道を転がるように玉砕(全滅)・転戦(退却)を繰り返して制海権・制空権を失っていきます。

最後は、東京はじめ各都市はアメリカ軍から無差別爆撃を受け、沖縄本島への上陸を許し、2発の原爆投下を受け、兵士だけでなく一般国民が悲惨な体験をしたのは御存知の通りです。

一部の方は、「日清・日露戦争はうまく戦った。太平洋戦争時の軍部がダメだったじゃ?」と思われるかもしれませんが、

歴史を更にさかのぼれば、豊臣秀吉が中国進出を狙って朝鮮半島を制圧したが、その後戦線は膠着、秀吉の死によってグズグズに終結した「文禄・慶長の役」。

また古代のことで不明な点も多いですが、新羅に滅ばされた百済の復興運動に乗ずる形で出兵した白村江の戦いも、日の出の勢いの唐の支援を受けた新羅に惨敗。

などなど、むしろ日清日露が例外的で、歴史的に日本が海外進出を目指した場合、先程申し上げた「途中までは良くても、最後はなかなかうまく行かない。」のパターンを繰り返しているように思えます。

もちろん、これだけの失敗を繰り返しながらも1億の人口で世界3位の経済大国であることはすごいことだとは思うんですが、もうちょっとうまくやることはできないのでしょうか??

前回は「弱いのに強かったローマ帝国に学ぶ(ミリタリーロジスティクスから考える)〜知力ではギリシャ人に劣り、体格ではゲルマン人に及ばないローマ人がなぜ世界帝国を作れたのか?」という内容で「兵站(へいたん)」について書かせていただきました。

繰り返しになりますが、兵站(logistics)と言うのは、日本で言うところの「ロジスティクス(物流)」よりかなり広い概念です。

WebサイトCambridge Dictionaryによれば、logisticsは

the careful organization of a complicated activity so that it happens in a successful and effective way

「複雑な活動計画を注意深く 整理し、それが成功し効果的を生むようにする方法」

というかなり抽象的な概念のようです。

もう少し具体的な説明を、湾岸戦争で兵站を率いたアメリカ陸軍のW.G.パゴニス元中将がしていて、彼によれば「兵站」とは

「輸送・補修・貯蔵・整備・調達・契約・自動化された作業、が一貫性を持って機能するように、注意深く組み立てていく任務」

ということだそうです。

私は、われわれ日本人がこの広義のロジスティックスをちゃんとイメージできず、旧日本軍では「輜重」(しちょう;重い荷車)、現代の自衛隊でも「後方補給」、民間においても物理的流通を略した「物流」と表現しています。

この「モノ」に絞った、ロジスティックスの狭い理解が「〇〇敗戦」の原因である気がしてなりません。

旧日本軍は守勢に立たされた後半になると、主戦場であった南方でも、中国大陸でも、武器弾薬はもちろんのこと軍服や軍靴など身を守る装備や食料を前線に輸送するルートが破壊され、兵士たちはまともに戦うことができないどころか、病気や飢餓に苦しめられました。

絶対的な物理量が不足していたこともあると思われますが、護衛なしの補給船が、アメリカ軍の潜水艦からの魚雷攻撃で次々と沈められ(アメリカは「飢餓作戦」と名付けていました)、約5千名の戦死者の他に約1万5千名の餓死・戦病死者を出した、ガダルカナル。

ミャンマーから大山脈を超えてインドへと、徒歩で長距離・悪路の移動を伴う攻撃なのに糧食の補給に、荷役の牛馬を食べる「ジンギスカン作戦」や、敵の食料を奪う「マッカーサー給食」などのトンデモアイディアが採用されて実行されてしまい、もちろん失敗、投入兵力9万2千人のうち7万2千人の戦病死者を出した「インパール作戦」等々(書いていて悲しい気分になってきます)。

一説には、第二次世界大戦の旧日本軍兵士戦死者230万人の約6割が、餓死や病死であったとも言われています。

ここに「複雑な活動計画を注意深く 整理し、それが成功し効果的を生むようにする方法」や「輸送・補修・貯蔵・整備・調達・契約・自動化された作業、が一貫性を持って機能するように、注意深く組み立てていく任務」の存在を見て取れるでしょうか??

「過ちは二度と繰り返しません」と平和路線に切り替えた戦後日本も、経済戦争で結局同じ轍を踏んでいます。

当初は快進撃を続けたものの、新興国現地のニーズを拾えず、日本の価値観のみで作った高級家電を押し込んで失敗した日本の家電品メーカー。

パソコンが安価な半導体を求めているのに、これまで売れていた大型コンピュータ向けの過剰技術で過剰品質、過剰性能かつ高価格の製品にこだわって負けてしまった半導体メーカー。

毛細血管とも言えるお金の細かい流れを無視して、いきなり大動脈をしばる「総量規制」でバブル崩壊を招いた当時の日銀。

国土が広くなく、気候も比較的温暖な日本列島では、いつでもどこでも水や食料が手に入るため、ロジスティックスが発達しなかった、という説があります。

そのせいかやはり日本では「最前線で必要な最適なタイミングで作戦資源を届ける」というロジスティックスの基本が守られていないような気がします。

日本人の好きな言葉に、「全員野球」って言うのがありますよね。

強いチームはプレーヤーだけでなく、監督・コーチ・編成に関わるフロント陣はもちろん、スコアラー・分析チーム、用具係などの間接部門も一体となって、「成功し効果的を生むようにする方法」を追求しているのだと思います。

私は「全員が打席に立つのが全員野球ではない」と思うのですがいかがでしょう?

間接部門を軽んじ、全員がプレーヤーになりたがるのが、われわれ日本人の悪いところ。

「輜重輸卒が兵隊ならば 蝶々トンボも鳥のうち」という戯れ歌があるように、やたら戦闘力があっても、ロジスティックスや、それを司る間接部門をないがしろにする風潮を改めないと、これからも「強いのに弱い日本」が終わらないと思うのです。

みなさんの会社ももしかして、「強い(はずな)のに弱い会社」になってませんか?

もし「弱くても強い会社」、さらに「強くて強い会社」を目指すなら、真のロジスティックスを知りたいなら、一度私達の話を聞いてみませんか?

と若干の宣伝臭を匂わせながら、今回は終わります。

次回は「日本史ロジスティックス決戦!」というタイトルで、日本の歴史からロジスティクス上手ベスト3とワースト3の人物について書かせて頂く予定です。

☆少し前の話ですが、不振におちいったとある会社のトップが「会社全員が営業マン」と言い放ち、間接部門の人員にまで販売ノルマを与えたそうです。もちろん社内は大混乱に陥り、そのノルマはなんの効果もなくしばらくして雲散霧消してしまったとか・・