経営やってみたラボ、8 「PLだけ見てたらこうなった」

それはちょうど、山一證券自主廃業や北海道拓殖銀行破たんなど、金融バブルが弾けた1997年、私が父の跡をついでミカド電装商事の社長に就任し、早々赤字からの苦しいスタートになったお話は第5〜7号に書きました。

その頃の私はとにかく営業利益をマイナスにしない事、に主眼を置いて経営をしていました。

なぜならメイン銀行の目が怖く、びびっていたからです。

「赤字は悪」 その一念に凝り固まっていたんです。

営業に必須の交通費通信費は別として、ボーナスを削り、人は増やさず、工具の修理はせず、計測具は古いものを校正もせず、コピーは裏紙、クルマは中古車、といった具合で経費をギリギリまで削っていました。

さらに営業には「お客のところに顔を出せ」という標語を作ってハッバをかけて、なるだけファックスや電話を使わずに(メールはまだ一般的ではありませんでした)直接訪問をするように指導していました。

当時、我々の品質はあまり高くなく、クレームを出すことも日常茶飯事で、義理と人情におすがりして売っていくしかない状況でした。

電話より直接会ったほうが怒られにくい、ということを我々は肌身に感じて知っており、営業に関しても私自身、電話より「アポ無しで直接会って御用聞き」というスタイルだったのです。

そんな苦戦続きだった頃のミカド電装商事は、主要仕入れ先であった日本電池(現GSユアサ)さんに関係強化の為、株式の13.5%を取得してもらっていました。

品質アップのために出向社員を受け入れたいということもありましたが、当方と競合する他の代理店からの攻勢を避けるための苦肉の策でもありました。

そんなわけで毎年の決算報告のために部門担当役員のかたをお招きして、説明会を開いていました。

まあ報告会と申しましても、実際のところは夕方にちょちょっと説明会をして、仙台の繁華街国分町での反省会にスケジュールの大半をおいたものでした。

説明の中身も「おかげさまで営業利益を出せました」程度で後は個別の大型案件の情報交換が主体。

営業出身の担当役員の方々も、PLへの関心は多少あってもBSには興味がなく、私自信もその辺の知識を全く持ち合わせていなかったのです。

そんな感じでPL経営に邁進していた私にある転機が訪れます。

1999年度の報告会に担当役員が来られず、代わりに本社経理部の部長の方が見えることになったのです。

淡々と決算報告に目を通してくれた彼は、静かに私にこう言いました。

「社長、資産と負債の長短比率を整えたほうが良いですよ。」

「はあ、、それはどういったことでしょう?」

間の抜けた私の質問にも呆れることなく、彼はこう指導してくれたんです。

・御社のバランスシートは固定資産が多くて流動負債が多い「右肩下がり」になっている。

・せめて固定・流動の比率が等しくなるように。

・流動資産が多くて固定負債が多い右肩上がりが望ましい。

当時のミカド電装のBSは新社屋の建築費で借りた分以外の長期借入金がなく、それ以外の流動・固定資産の原資が短期借入金とわずかな自己資金で賄われている状態でした。

今にして思えば、金利が実質大差ないので、来年貸してくれるかどうかわからない短期借入金よりも長期借入金の方が絶対いいに決まっているのですが、ある意味銀行さんに都合の良い資金調達になっていたわけですね。

実際はその他にも懇切丁寧にいろいろとご指導いただいたのですが、当時の私は何を言われているのかほとんど理解できませんでした。

しかし「資産と負債の長短比率」くらいは頭に残っていた私は、早速翌日に総務部長に長期借入金を増やすように指示。

前々からそう思っていた総務部長は、待ってましたとばかりにすぐ動き出します。

メイン行に相談をかけながらも、政府系金融機関から制度融資を導入。

さらに数年かけて保証協会の保証付融資をメイン行から取り付け、さらにサブ行からも長期資金を引き出しました。

その後、私の「お金をしっかり使って品質を上げ、結果を出していく」、という経営姿勢の改善も相まって、指導を受けた1999年の87%という右肩下がりの流動比率から、2016年度には、自己資本比率こそまだ32%ながらも流動比率185%という、あの経理部長さんのおっしゃった通りの右肩上がりのBSを作ることができたのです。

その時一回限りのご縁で、もうとっくに定年になって連絡先もわからない大西部長さん、本当にありがとうございました。

今でこそ他人様会社のBSにまで偉そうに細かく口出ししてる私ですが、そんな時代もあったんですよ(恥)。

昔某健康飲料のキャッチコピーに

「元気だからって健康ですか?」

というのがありましたが、

〜 エナドリで 元気いっぱい 働いて ある朝ばったり 突然死とは 〜

なんて事のないように 健康経営していきたいですね。

次回は、ホールディングス化の前にせっかく良くなったBSを少し痛めてしまった体験 「セグメント化の重要性 分けて考えなかったらこうなった」について書かせていただきます。